2011年3月11日。
読者のみなさんは何をしていたか覚えていますか?
もう、あれから8年経ちました。
今回はあの日を忘れない意味で東日本大震災を振り返ります。
震災発生から帰宅まで
私は職場(今とは違う会社ですが)で見積り作っていました。
あの地震の時、埼玉県の某市に居たのですが結構な揺れでした。
おー、揺れるなー。
とか思っていたら、棚から商品が落下。(当時私はホームセンターのリフォーム部門に勤めていました)
運の悪いことにペンキの缶です。
床がペンキまみれ。
あーぁぁ~。なんて思っていたら停電。
窓が無いところに居たのでかなり暗くなりました。
レジもUPS(無停電電源装置)で辛うじて動いていましたが、バッテリーが持たなくなってきて強制シャットダウン。
同時にサーバーのバッテリーも危なくなってきたので、やむなく閉店。
店舗の自家発電装置は動いていたのですが、自家発電装置はあくまで最小限の電力しか供給してくれません。
避難誘導灯や避難照明ぐらいしか点かないんです。
サーバーが落ちているので、出来る仕事はありません。
ただ、1件だけ現場が動いていたので様子を見に行きました。
その現場、幸いにも店舗から歩いて行ける距離。
5分ぐらい歩いて現場に到着したら、工事は終わっていました。
お客様に完了サインをもらって、店舗に戻りました。
ただ、戻る途中に信号や自販機の電気、周りの店舗の照明が全て落ちていることに気が付きました。
私の店舗の電源だけ落ちたわけじゃないんだと初めて気が付きました。
まさかこの時は国道の信号まで全てダメになっているとは思ってもいませんでした。
店舗に帰って、自家発電機の様子を見に行くと結構燃料が無くなっていました。
このまま発電機を回していてもしょうがないので、店長判断で閉店。
その日は早めに帰ろうと、みんなで退社。
しかし…。
国道大渋滞!
最寄り駅も電車が全て止まっているので駅に入れない人がわんさか!
当時、私はバイク通勤だったので超すり抜けでなんとか帰れました。
ただ、自宅に帰るまでの信号がほとんど点いていませんでしたね。
自宅付近に近づいてようやく停電が収まっていました。
後で分かったんですけど、職場のあった一帯から荒川沿いに相当なエリアが停電していたんです。
私の自宅は幸いにも何も起こっていませんでした。
ただ、私の自宅以外は大変なことになっていましたね…。
帰宅後~原発メルトダウン?!
自宅に帰るとウチの奥さんが友達とTVを見ていました。
そこで初めて私は思ったより大変なことが起きていると実感しました。
宮城県の沿岸部、岩手県の沿岸部の町で壊滅ぐらいの被害が出ていること。
津波の被害は東日本全域に及んでいるかもしれないということ。
まさか自分が生きているうちにこんなことが起きるなんてね…と、この時はまだ少し他人事でした。
そして次の日…。
たまたま震災の次の日は休みだったんです。
朝からTVはずっと震災の事をCMも入れずにやっていました。
パソコンで色々調べながらTVを見ていたら、福島第一原発の爆発シーンが…。
マジか?!
映画のワンシーンを見ているような、少し現実感の無い感じが自分を包みました。
私は20歳過ぎくらいから趣味で原子力工学をかじっていたので、どのくらいヤバいのかすぐに分かりました…。
あー、ダメだなぁと何故か独り言。
何がダメなのか…。
今も良く覚えているんですけど、「直せないな」というダメだなぁです。
その後は情報は小出しにしか出てきませんでした。
そして次の日は普通に出勤。
まさか自分がその後宮城県に行くなんて思いもしませんでしたが…。
被災地支援…というか仙台方面ヘルプへ向かう
震災から2日後(3月13日)、出勤すると店舗内は割と普通でした。
ただ本社から色々と指示が出ていました。
「本社チームから順番に被災地の店舗へヘルプに向かう」
「本社の人間が行ったあとは店舗のリフォーム担当が被災地の店舗へ向かう」
私は4月の上旬からのチーム編成に入りました。
期間は約1ヶ月間。
うちの奥さんに事情を説明し、残っている通常の業務を徐々に片付けていきます。
そして出発前日の夜、仕事から帰ってきて普段使っている社有車エブリィに引っ越し出来るくらいの荷物を詰め込んでいきます。
…まぁ、ほとんど引っ越しなのですが…。
そしてまだ暗いうちから出発。
自宅から東北道を目指します。
今でこそ自宅から東北道までは圏央道を使って30分ぐらいで行けますが、この当時はまだ圏央道が東北道に繋がっていません。
ひたすら下道だと1時間以上かかるんです。
東北道に乗ってからも、あまり休憩も取らないで走ります。
そして集合場所の仙台市を目指します。
栃木、福島と登っていくと徐々に屋根にブルーシートを載せた家が増えてきます。
仙台市内に入ったのがお昼過ぎ。
荷物満載のエブリィで走っていたので、予想より少し遅めの到着です。
現地の人から簡単な報告を受けます。
そして「説明するより見た方が早いですよ、とりあえず見に行きましょう」と言われます。
車で街へ出ると、海沿いは本当に何も無いんです。
当日は雨が降っていたこともあり、全てと言う全てが泥に覆われています。
「これでも少しは片付いたんですよね」と言われましたが、片付いたというか何もなくなっているという表現が正しいような気がします。
この日は現状確認をしてから、借り上げ社宅にしてくれたレオパレスへ…。
石巻の街中、2011年当時
翌日からは石巻の店舗のヘルプへ向かいます。
やることは普段と変わらないです。
住宅リフォームです。
ただ、リフォームの依頼の99%が水没住宅です。
ハッキリ言って、直しようが無いという状況がほとんどです。
だって、海沿いの家は2階の床まで浸水していますからね。

こんな景色の中をずーっと1ヶ月走っていました…。
ただ、全部が全部、こんな状況では無いんです。
海から離れている所は普通ですよ。
私が一番衝撃を受けたのが日本製紙さんの近辺でした。

物凄い量のガレキですよね…。
ただ、このガレキ。
ちゃんと、この後片付いたんですよ。
この写真を見てください。
2011年がこちら

そしてこちらが2013年の写真

バイクでどうなったか見に行ってみました。
信じられないでしょうけど、同じ場所ですよ。
みんな頑張って片付けたんです。
わずか2年でここまで片付くんですね…。
これ以降、栃木県以北には行けなくなってしまいました。
娘が翌年産まれて色々忙しくなってしまいましたから…。
ただ、毎年毎年思います。
絶対に忘れてはいけないと。
災害は忘れたころにやってくるって言いますからね。
忘れなければ来ないということでしょうか?
あの日の犠牲者の方へ…合掌。


